学生最後の東京マラソン、Adizero Adios Pro 4 で走った2時間16分のラップ全公開
2時間16分台の中身
2026年3月、東京マラソン。大学4年生で迎えた初フルマラソンであり、学生最後の引退レース。タイムは2時間16分台。
序盤から女子の先頭集団に乗って 3:10〜3:13/km で進み、25km 以降は 3:07〜3:09/km に上げた。37km 過ぎで足が攣って先頭集団から離れ、そこから先は足の攣りと過呼吸の連続。ゴールが目の前に見えているのに過呼吸で止まり、死ぬんじゃないかと思った瞬間もあった。
シューズは Adizero Adios Pro 4。時計は Apple Watch Ultra 2。これが学生最後の42.195km の装備だ。
引退から4ヶ月経った今、Strava に残ったスプリットを並べて、初マラソンを振り返る。
装備
レースで使ったのはこの 2 つだけ。シューズは練習も本番も同じ Adizero Adios Pro 4 を 1 足。時計は Apple Watch Ultra 2 でラップとペースを記録した。
引退レースに東京マラソンを選んだ理由
大学4年の駅伝シーズンが終わった時点で、最後はフルマラソンで競技を締めると決めていた。卒業後はソフトウェアエンジニアとして就職することが決まっていて、これ以降に本気のフルを走る予定もなかった。出し切る走りでケジメをつけたかった。
学校・チームは非公開。記録だけ残す。
練習:荒川河川敷、一人
引退レースに向けた練習は、ずっと一人だった。場所はいつもの荒川河川敷。
1日1部練、時には2部練。間に旅行で走れない期間もあったが、なんとかフルマラソンに挑戦できる脚を作った記憶がある。誰かと合わせて練習する場面はなく、東京マラソンの号砲を聞くまでの数か月、ほぼ全てのキロを荒川で踏んだ。
当日の目標
目標は2つあった。
ひとつは、自分の納得できるタイムで学生時代を締めること。具体的な数字よりも、出し切った走りで終わりたかった。
もうひとつが本命の作戦で、女子の先頭集団についていって、男子としてケニア人・エチオピア人勢に勝つこと。情けない話に聞こえるかもしれないが、市民マラソンの中で自分が現実的に並走できる位置取りは女子先頭が一番近い。男子のトップ層は別次元なので、最初から狙っていない。
全ラップ
| km | ペース | GAP | 標高 |
|---|---|---|---|
| 1 | 3:16 | 3:16 | -1 m |
| 2 | 3:12 | 3:13 | -3 m |
| 3 | 3:14 | 3:13 | -1 m |
| 4 | 3:14 | 3:18 | -13 m |
| 5 | 3:12 | 3:13 | -7 m |
| 6 | 3:08 | 3:10 | -7 m |
| 7 | 3:13 | 3:13 | -2 m |
| 8 | 3:13 | 3:12 | 0 m |
| 9 | 3:13 | 3:13 | 2 m |
| 10 | 3:12 | 3:12 | 0 m |
| 11 | 3:12 | 3:12 | 0 m |
| 12 | 3:10 | 3:09 | 2 m |
| 13 | 3:13 | 3:13 | -1 m |
| 14 | 3:02 | 3:03 | -3 m |
| 15 | 3:12 | 3:11 | 0 m |
| 16 | 3:11 | 3:11 | 1 m |
| 17 | 3:10 | 3:10 | -1 m |
| 18 | 3:10 | 3:10 | 2 m |
| 19 | 3:10 | 3:09 | 0 m |
| 20 | 3:11 | 3:10 | 1 m |
| 21 | 3:08 | 3:10 | -5 m |
| 22 | 3:09 | 3:09 | 0 m |
| 23 | 3:09 | 3:08 | 0 m |
| 24 | 3:09 | 3:09 | -1 m |
| 25 | 3:08 | 3:07 | 2 m |
| 26 | 3:10 | 3:08 | 1 m |
| 27 | 3:10 | 3:09 | 0 m |
| 28 | 3:08 | 3:05 | 3 m |
| 29 | 3:12 | 3:12 | -1 m |
| 30 | 3:10 | 3:10 | -1 m |
| 31 | 3:07 | 3:07 | -1 m |
| 32 | 3:09 | 3:08 | 3 m |
| 33 | 3:07 | 3:06 | 2 m |
| 34 | 3:04 | 3:05 | -3 m |
| 35 | 3:10 | 3:09 | 2 m |
| 36 | 3:10 | 3:11 | -1 m |
| 37 | 3:04 | 3:03 | 2 m |
| 38 | 3:07 | 3:07 | -1 m |
| 39 | 3:10 | 3:10 | 0 m |
| 40 | 3:25 | 3:25 | 0 m |
| 41 | 3:35 | 3:35 | 0 m |
| 42 | 3:29 | 3:25 | -1 m |
| 〜ゴール (0.47km) | 4:37 | 4:15 | -7 m |
Strava の生データはこちら。公式の完走記録 PDF も証拠として並べておく。
前半、女子先頭集団に乗る
スタート 1km は 3:16。号砲直後の混雑を抜けるまでの慣性。
2km 以降は 3:12〜3:14 の女子先頭集団に乗せた。ハーフ通過まで 3:12〜3:13 で揺れず、消耗を最小化する判断で走った。
14km だけ 3:02 で突出している。下りか追い風で勝手に上がった区間で、意図的に踏んだわけではない。
21km から少しずつ上げる
20km まで 3:10〜3:13。21km の 3:08 が転換点だった。
そこから 30km までは 3:07〜3:11 の範囲で、消耗より勢いが勝っていた。31km 以降は 3:04〜3:07 のラップが混ざってくる。33km の 3:07、34km の 3:04、37km の 3:04。このあたりは「行ける」と思って踏んでいた記憶がある。
実際には限界が近かった。それは数キロ後に思い知ることになる。
37km 過ぎ、初マラソンの洗礼
37km を過ぎたあたりで、足が攣って止まった。これが1回目。
そこで先頭集団から離されたが、それ自体は仕方ないと割り切れた。問題はその後だった。
足の攣りは合計で2〜3回。さらに、なぜか急に過呼吸が来た。呼吸ができなくなって走れなくなり、歩いた。過呼吸は2回。ゴールが目の前に見えているのに過呼吸で止まった時は、本当にゴールできるのか、死ぬんじゃないかと思った。
40km で 3:25、41km で 3:35、42km で 3:29。ラストの 0.47km は 4:37/km。スプリットの数字は当時のフォームを正確には伝えない。歩く一歩手前で、なんとかゴールに帰ってきた、というのが実感に近い。
走り切った、というより、たどり着いた。
終わってみれば、楽しかった
それでも、終わった後は「学生最後としてやりきった」という気持ちが残った。
何より、東京のど真ん中を走れたのが楽しかった。普段は荒川の河川敷を一人で走っているだけなので、42 キロかけて都心を走るというのは特別だった。きつかったが、初フルとしての記憶は良いほうに残っている。
引退から4ヶ月、振り返って
数字だけ見ると、もう少し賢く走れた可能性はある。前半をさらに抑えて、37km 以降に足を残す走り方。補給と給水のタイミングを変えていれば、足攣りも過呼吸ももう少しマシだったかもしれない。
正直に言えば、テレビに映りたいという気持ちもあった。沿道のカメラを意識して前方に出たり、うろちょろしていた区間もある。今思えば、マラソンを少し舐めていたのかもしれない。37km 過ぎの足攣りも、その代償だった可能性は否定できない。
ただ、当時の自分には「出し切る」以外の選択肢がなかった。引退レースである以上、力を残す意味もなかった。
このラップを公開するのは、再現したいからではない。もう自分には書けない記録だからだ。新卒1年目で本業に振っている今、フルのトレーニングは積めない。3:10/km で37km を持たせる脚は、今の自分にはない。
学生時代の数字を晒すのは、自分自身への確認に近い。「あの時はこれくらい走れた」を残しておくと、引退後のランニングが過去の自分と地続きになる。3:45 起きで12km を走る今の生活も、その延長線上にある。
東京マラソン 2027 にも、出るつもり
それでも、東京マラソンは楽しかった。
タイムを狙う走りができるかは分からない。3:10/km で 37km を持たせる脚は今はないし、本業優先の生活で当時のような練習量も積めない。それでも、東京のど真ん中を 42 キロ走るあの感覚は、もう一度味わいたい。
東京マラソン 2027 にも、出るつもりでいる。
引退レースのつもりで走ったのが2026年3月。そこから1年経たないうちに、また同じスタートラインに立ちたいと思っている。学生最後と決めて出し切った記録は、それはそれで残る。だが、それで終わりにしないことにした。